「もう一度甲子園に戻ろう」。昨春の選抜甲子園に21世紀枠で出場した石岡一(石岡市)
の主将・古屋健太郎(3年)は新チーム始動時、チームメートにそう力強く呼びかけた。9
番中堅で出場した憧れの聖地は「アウトになっても幸せ。頑張った者へのご褒美のような場所
だった。主将就任後、あいさつや道具の扱い方など細部の徹底を部員に促し、嫌われ役を務め
てきたのも、全てはもう一度、あの舞台に立つためだった。
だからこそ、甲子園の中止はショックだった。皆の前では気丈に振る舞ったが、家で一人にな
ると涙がこぼれた。 そんな失意の中に差した光が独自大会だった。優勝して、甲子園にふさわ
しいチームだったと証明しよう・・。甲子園中止発表の数日後、3年生全員で新たに意思統一
した。 強豪私立を倒さなければ一番になれないことはよくわかっている。昨夏は霞ヶ浦、秋は
常総学院にいずれも敗れた。 「名前負けしていた」。エースの小松崎駿(3年)は悔しさを忘
れない。強打の私立を想定し、この冬は新たに変化球を二つ習得して配球パターンを広げた。最
後の夏に向けてオーダーしたグラブには、自分の投球で一番になる、との意味を込め「天下無双」
と刺しゅうを施した。「独自大会は思い出づくりじゃない。私立を倒して優勝する」。エースの
気概を胸に、真っ向勝負を挑む覚悟だ。
「幸せな3年間だった」 石岡一・女子部員
独自大会最後の練習試合となった5日、石岡一の女子部員、浜田芽里(めりい)(3年)、八回
の守りからセカンドの守備についた。女子部員は規定で公式戦には出場できないため、浜田にと
って事実上の”引退試合”だった。 規定のことは知っていたが、同校でプレーした2人の兄に憧
れ、迷わず入部した。 高校では男女の体力差を痛感し、試合で打席に立つと長打の警戒を解かれ
外野手に前で守られることもあった。悔しさから「辞めたい」と思うことは何度もあった。
それでも続けてこられたのは同級生の仲間がいたから。苦しい時、いつも励ましてくれた。この
日もそうだった。強い当たりをはじいて出塁を許すと、すかさず「気にするな」と仲間が声を掛
けてくれた。 一足先に引退し、独自大会はスタンドから仲間を応援する。「幸せな3年間だっ
た。必死に練習してきてよかった」。そう言って、こみあげる涙をぐっとこらえた。 (敬称略)